2.神橋の伝説
奈良時代の末、下野の人沙門勝道は、その伯父・大中臣諸清たちと、かねて深く尊崇する霊峯二荒山(男体山)の登頂によって鎮護国家、人民利益のための大願をたてました。
天平神護2年3月(766年)勝道上人一行は大谷川のほとりにたどりつき川を渡ろうとしましたが、岩をかんで流れる大谷川の激流のため渡る方法がなくこまりはてました。上人はひざまづいて一心に祈念を凝らすと、川の北岸にひとりの神人が現われました。その姿は夜叉のようで、身の丈一丈余、左手は腰にあんじ、右手に二匹の蛇をまき、上人に向って「我は深沙大王である。汝を彼の岸に渡すべし」といいながら手にもった蛇を放つと、赤と青二匹の蛇は、たちまち川の対岸とを結び、虹のように橋をつくり、背に山菅が生えたので、上人一行は早速これによって急流を渡ることができたといいます。ふり返って見ると、神人も蛇橋もすでに消え失せてしまっていたので、上人は合掌して、深沙大王の加護に感謝し、それ以来この橋を山菅の蛇橋と呼んだといいます。 |